ふろウラ Flowllah

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中国はアフリカでも人気者

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アフリカとの経済的結びつきを国別にランキングしたグラフを見かけた。このグラフの主旨は「米国と中国の競争がアフリカでも激化している」ということなんだけど、グラフの数字を注意深く眺めれば、アフリカへの投資、政府開発援助、貿易の総額で見ればもうぶっちぎりで中国が一番ということが分かる。中国とアフリカの関係は古く、1960年代からアフリカの各地で中国が道路や鉄道を整備して、着実に関係を築いてきたことを考えれば、むしろ米国のほうが新参なのだ。

ビジネス相手としての中国の人気はアフリカにおいても高い。私の同僚(ソマリ系英国人)の説明によれば「中国人とのビジネスは分かりやすくて早いから」ということだった。「中国人は取引上の約束は必ず守る。お金のやりとりも早い。しかも人権とか環境とかうるさいことを言わないから物事がとても早く進行する」のが人気の秘密だという。とても納得できる説明だし、ここに中国の競争力の源泉があるように思う。「たとえば道路を作ろうとしたとき、米国や欧州が相手だととても長い時間がかかる。調査ばっかりやった挙句「できません」という結論になることも多い。それに比べて中国が相手だと、あっというまに道路ができる」のだ。

まさに「人権や環境」に手足を縛られた欧州や米国からすれば、アフリカ・ビジネスにおける中国は手強い競争相手に違いない。しかしアフリカの人たちにとって中国は「欲しいものをすぐにもってきてくれる貴重な取引相手」なのだ。アフリカの紛争地にじゃんじゃん武器輸出をしているのは頂けないが、ビジネスを通じてアフリカの長期的な安定と発展に寄与する中国の存在は、さらに歓迎されていくのだろうと思う。

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Written by Flowllah

August 8, 2014 at 19:08

Posted in ニュース雑感

「海にはワニがいる」

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「海にはワニがいる」ファビオ・ジェーダ (早川書房,2011)

十歳のハザラ人の少年が、タリバン政権時代のアフガニスタンを逃れてパキスタン、イランなどを経てイタリアに辿り着き、トリノに安住の地を見つけるまでの八年間のお話。とても読みやすく、また惹きつける内容なのですぐに読み終わってしまう。いい本です。おすすめ。

ところどころに挿入される少年とイタリア人作家(著者)の会話が、少年の内面をあぶり出す役目を果たしていて面白い。たとえば:

「ほら、まただ」

「またって?」

「君はそうやって、すぐに話題を変えてしまう癖があるんだ。もう少し、そのおばあさんのことを話してくれよ。家がどんなふうだったとか」

「どうして?」

「興味があるからだよ。みんなだって知りたいと思うな」

「それは分かるけど、前にも説明したとおり、僕は出来事そのものにしか興味がないんだ。あのおばあさんが僕の物語の中で重要なのは、その行為のゆえのことであって、名前とか、家がどんなふうだったとかはどうでもいいことなんだ。言ってみれば、彼女自体は誰でもいいんだ

「え?」

「同じ行動をとる人なら誰でもいいってことさ」

この「同じ行動をとる人なら誰でもよかった」という言葉が、各地を放浪する少年にとっては一時的な人間関係だけが重要だった、極言すれば「行為が重要であり、人間関係は必要ない生活だった」ということを思わせる。ある場所に定住して、それなりの長期間にわたって人間関係が続くことが前提の生活を送っている者にとっては、行為も重要だが「その行為の主体者が誰であったか」もまた重要だからだ。この言葉から、この少年が続けてきた旅の孤独さが偲ばれる。少年は、その旅が孤独だったとか、過酷だったとかは一言も口にしていない(少なくとも本の中では)けれど、それはおそらく十歳のころからひとりぼっちで生きていかなければならなくなった彼にとって、孤独であることが当たり前すぎたからだとも解釈できる。そして数々の幸運に恵まれて、少年はイタリアに到着する。政治難民申請が受理されて、少年は滞在許可を取得する。

「安住の地ってどうすれば見つかるものなんだろう?ほかの場所と見分けがつくものかい?」

「ここを出てどこかに行きたい、と思わない場所がそうさ。そこが完璧だから、というわけじゃない。完璧な場所なんてどこにもないんだ。でも、誰かにそれほど邪魔扱いされずにすむ土地があるならね」

また、共同生活施設に行くことになった少年(当時高校生くらい)に「一緒に暮らそう」と提案したイタリア人家庭の存在が印象深い。キリスト教が背景にあるのかもしれないし、難民を受け入れている国ではいろんな制度が整備されているはずなので珍しいことではないのかもしれないが、いまの日本ではなかなか考えにくい展開だと思う。そして、そのイタリア人家庭での暮らしのなかで少年はもう「同じ行動を取る人なら誰でもいい」とは言っていないのではないだろうか。そしてそれは、彼にとって「安住の地 」を見つけたということなのだろう。

Written by Flowllah

June 20, 2014 at 08:39

地図が読めない女

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きのう同じ部署で働くソマリ女性から「わたし、地図が理解できないんです」と言われて驚いた。 来週に予定されている催事の打ち合わせ中、会場近辺の地図をモニターに出力した時に彼女が発した言葉だった。 その場での彼女や同僚たちの態度から察するに、地図が読めないことは(少なくとも私の現在の勤務先においては)珍しいことではない様子。むしろ、彼女は地図が理解できないことを堂々と宣言していたように思う。

「地図が理解できない」ということはどういうことか。「地図が読めない」という状況が私には理解できない。 地図は視覚情報だから「見れば分かる」はずではないのか。案の定、地図を拡大して(google map だったので)彼女がよく知っている周辺を表示させてみた途端「ああ、ここが首相府でここが病院」と、地図を即座に理解していた。

地図をシンプルに説明するならば「対象物を上空から眺めるかのように配置して、それぞれの位置関係を視覚的に表示したもの。多くの場合、地図の上が北となっている」であり、ほとんど直感的に理解できるものだと思う。 彼女も地図を拡大した途端、その情報を即座に理解していたので、地図はやはり「見れば分かる」便利なものなのだ。 にも関わらず「自分は地図が理解できない」という彼女の思い込みはどこから来るのだろうか。

この国に暮らす多くの人は、日常生活に必要な場所の位置関係はすでに頭のなかに入っているから、地図を見る必要(機会)がほとんどない。学校で地図の読み方を教わることもない。実際、この国で普通の生活をしている限り地図への需要は少ないはずなので、供給もまた増えないのだろう。赴任したとき、部署の同僚が一人として業務に関する詳細な地図を持っていなかったのも、そうした地図への依存度の低さ、需要の低さが背景にあるように思える。

彼女にとって地図は「使う機会の少ない、あまりよく知らないもの」だったのだが、それが彼女のなかで「知らないもの=理解できないもの」という勝手な思い込みに繋がっていたのではないだろうか。実際には、即座に理解できるだけの力を彼女は持っていたのにも関わらず。

自分自身の思い込みにより、自分の能力を無意識のうちに削いでしまっている事が自分にもあるのではないか、と考えさせられる一幕だった。

Written by Flowllah

May 30, 2014 at 08:27

世界のナカタ

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お金を引き出しに行ったハルゲイサの銀行は、その日が祝日だったこともあり、客足はまばら。 窓口のお兄さんもたいそう暇そうで、初対面の私に親しげに話しかけてくる。

「中国人?日本人?  あ、日本人か。サッカーのナカタ、知ってる?」

今でも「有名な日本人サッカー選手」といえばナカタなのだろうか。ホンダではないのか?果たしてこのお兄さんはあまりサッカーのことを知らないのかな、と思いつつ「ナカタは数年前に引退したよ」と教えてあげたところ「なんだって?暗殺か?それとも交通事故?」と驚いていた。驚いたのはこっちのほうなのだが「いや、引退したんだ。プロとして競技することを止めたということだよ」と追加説明して、ようやく分かってもらえた(ようだった)。

誰かが(それまでいた場所から)いなくなることが、すぐに暗殺とか事故を連想させるところに、この国の事情を垣間見るようである。

Written by Flowllah

May 3, 2014 at 07:33

沈黙の夕食会

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今週はイスラムのお祭り Eid  al Adha(犠牲祭)で月曜日から木曜日まで休み。金曜・土曜の週末と合わせて「大型連休」になるため、アフガニスタン人の同僚たちは故郷へ戻って家族団欒を楽しんでいる様子。異教徒の外国人スタッフのなかではドバイへ遊びに行く人も少なくないが、私は地方出張のためアフガニスタンに留まった。

その地方はトルクメニスタンとの国境にほど近い、北部では比較的大きな街。標高がカブールより 1,000m 低いにも関わらず 10月中旬とは思えないほどの寒さ(5c くらい)だったので、冬支度をサボった私は凍えたけれど、滞在した事務所兼宿泊所にはグルカのおじさんたち 8名 ほどが警備に当たってくれており、彼らの柔らかい物腰と表情に心温まる思いがしていた。グルカというと精悍で強面なイメージをお持ちになるかもしれないが、私が知っているグルカのひとたちはみな朴訥ではにかみ屋である。

偶然にも出張最後の晩(10月13日)がヒンドゥ教のお祭り Dusshera(ダシェラ)だったので、グルカのおじさんたちが夕食に招待してくれた。私はグルカはみんな仏教徒だと思っていたが、ヒンドゥ教徒も少なくないらしい。意外である。

食卓に並べられたごちそうは、たぶんネパール料理(私はインド料理とネパール料理を区別することができないのだが、北部インド料理をちょっと田舎風にするとネパール料理になる、という理解でよいかと思う)。アフガニスタンの田舎では到底手に入らない食材やスパイスをふんだんに使っていたので、おそらくネパールから持ってきた虎の子の食材を惜しげもなく放出したことが窺える。

みんなお腹がすいていたのか、食べ始めたあとはお喋りは一切なく、ただ黙々と食べ続けた。15分くらいで満腹になると、また沈黙。そのまま30分ほど沈黙が続いた後、夕食会は静かにお開きとなったのだった。騒がしい会が苦手な私はこの沈黙に内心安堵していたのだが、これを機にますますグルカの人たちのことを好ましく思えるようになった。ありがとう。

Written by Flowllah

October 15, 2013 at 16:21

ざくろの季節になりました

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仕事を終えて家に戻ると、食卓の上にざくろがあった。「もうそんな季節か」と感慨深いが、ざくろの横にメロンも置いてあって(しかもこれが甘くておいしい)、夏なのか秋なのかよくわからない気分にさせられる。夏と秋のちょうど境目ということなのだ。カブールは秋が短いので、秋の到来はほどなく冬がやってくることを知らせている。

ざくろについて書いた有名なペルシャの詩があったと思うんだけど、見つからない。その代わり、万楚という唐代の詩人が詠んだ「五日観妓」という詩を見つけた。でもよく読むと、この詩は五月の新緑のころ、紅い花を咲かせているざくろに着想を得て詠まれた詩なので、いま鑑賞するには季節はずれ。

さらに台湾に「柘榴」という名前の鉄道駅があることを知る。2012年に建てなおされたという駅舎が、台湾なんだけど日本の田舎を思い出させるような雰囲気。駅ができたのは1905年ということなので、これは(日本統治時代の)最初の駅舎を復元したものかも知れない。

また台湾へ行きたくなってきた。いますぐ行きたい。

Written by Flowllah

September 15, 2013 at 15:31

アフガニスタン優勝しました

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9月11日にカトマンズで行われた南アジアサッカー (South Asia Football Federation Championship: SAFFC) の決勝戦で、アフガニスタンがインドを 2-0 で破って優勝した。前回(2011年)の決勝でインドに惨敗(0-4)したアフガニスタンにとって、悲願の雪辱。南アジアはサッカーよりクリケットが盛んであることや、参加 8 チームのすべて(アフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、インド、モルジブ、ネパール、パキスタン、スリランカ)がサッカーではパッとしないとはいえ、堂々たる南アジアチャンピオンである。アフガニスタンにとって素晴らしい出来事だ。

優勝が決まったのが午後 7 時ころ、その瞬間からカブールは狂喜につつまれた、というか呑み込まれた感じ。喜びのあまり自分たちを抑えられない感じのアフガン人のお兄さんたちが車にハコ乗りになって絶叫しながら市内を巡回していた、なんてのはまだ序の口。 ほどなくして無数の銃声があちらこちらの方向から聞こえてきた。最初は爆竹かと思ったけれど、やはりというか心配したとおり、お祝いの実弾射撃だった。屋上へ出て仰ぎ見ると、ものすごいスピードで飛ぶ無数の赤い小さな点がカブールの夜空に吸い込まれていく。あまりお目にかかることのない幻想的な光景を眺めながら、放物線の終わり誰もいないことを願った(赤く光るのは曳光弾だけなので、実際には見えている以上の銃弾が飛び交っていたはず)。 自宅周辺にこれだけの小銃と弾丸が蓄えられていたということに多少のショックを感じながら。翌日同僚から聞いたところによれば、小銃だけでなく RPG (ロケット推進の榴弾)を市街地で発射した大馬鹿野郎もいたとのこと。物騒すぎる。

ナショナル・チームがスポーツ大会で優勝することは、その国民を大きく元気づけるのだろう。前回の東京オリンピックで日本の女子バレーボール・チームが優勝したことが、どれだけ日本の人たちの自信回復になったのか、少しだけ分かったような気がした。アフガニスタンの前途は 1964 年時点の日本の前途とくらべると途方もなく険しいけれど、これからもスポーツや芸術・科学などいろんな分野で活躍する人がでてきて、ノーベル賞でもフィールズ賞でもどんどん受賞して、アフガニスタンを元気にしてくれればいいなと思う。

Written by Flowllah

September 14, 2013 at 11:51