ふろウラ Flowllah

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Archive for February 2011

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FUCK THE 14th FEBRUARY.

I LOVE YOU EVERYDAY.

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Written by Flowllah

February 15, 2011 at 00:02

Posted in 言葉, 外国語

「いだてん」と「ケトー」

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廃れゆく言葉は廃れるに任せるが良し(無理に保護する必要はない)というのが私の考え方なのだけれど。

先日うちの会社の同僚(日本人・2x歳・女性)と地方へ出張した際、「韋駄天」と大きく書かれた業務用トラックが道端に止まっていた(日本で廃棄された後、第二の人生をこの国で送る車両は多く、そこらじゅうに「松戸スイミングスクール」とか「浜松水産」「緑が丘保育園」とかの業務車が走っている)。

その「韋駄天」トラックはどうみても宅配のための車両だったけれど、トラックを見つけた同僚はすかさず「あっ!センパイ!日本のクルマですよっ!てんぷらやさんですねっ!」

天然であることはいい。美点になりうる。素晴らしい。大らかに育てられたんですね。

また別の日、今度は取引先の日本人たちとの会話で、文脈は忘れてしまったけれど「毛唐」という言葉が出てきた(なんの話をしてたんだ、俺たち?)。散会した後、その場にいた女性(2x歳)から「あの、ケトーって何ですか?」と聞かれた(もちろん「毛むくじゃらの異国人ということですよ」と答えておいた)。

「毛唐」という言葉が次の世代に引き継がれて行かない、ということは喜ぶべきことなのだ。私の父親は「よつ」とか「おきや」という言葉をよく使っていたが、私の世代にそういう言葉を日常的に使う人はまずいない。私は、それをよいことだと思う。

韋駄天という言葉だって、現代日本人の毎日の生活において仏教が持ちうる影響力を考えると、意外と短命かもしれない。そして私は、それは究極的にはきっとよいことなのだろうな、と思う。

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韋駄天(wikipedia より)

「ヒンドゥー教の神スカンダ(Skanda)が仏教に入って仏法の護法神となり … 塞建陀天として、また … 違駄天として記述がある。元来はSkandaを音写して塞建陀天または私建陀天と漢訳されたが、建駄天とも略記され …. 誤写によって建駄天が違駄天となり、さらには道教の韋将軍信仰と習合して韋駄天と称されるようになった。」

Written by Flowllah

February 14, 2011 at 11:00

Posted in 言葉, 日本語環境

半島テレビ

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Al Jazeera って中国語では 半岛电视台 と言うのか。知らなかったよ。

外国語を自国語のなかに摂取するときの中国語のコシの強さには感動すら覚える(Jazeeraとはアラビア語で半島の意味。カタールは半島国家)。日本語はカタカナのおかげで音のまま摂取できて便利な半面、言葉の移植に工夫をこらす余地はない(近代以降では当時の列強から入ってきた概念が日本で漢字に移植され中国へ輸出された例も多く、昔の日本の知識人は頑張っていたなと思う)。カタカナが氾濫している文書を読むと現在の自国知識人の怠慢が癪にさわるし、日本語が蹂躙されているような気持ちになる(時もごくまれにある、という程度ですけど)(カッコが多くてすみません)。

この点において中国語は頑固だ。原語での意味を忠実に自国語へ変換する、というのが基本スタンスになっている。微軟(マイクロソフト)、白宮(ホワイトハウス)、航空小姐 (スチュワーデス。日本語でも中国語でも死語になったけど)、信用卡(クレジットカード)など。例外的に音訳もあって、なかでも奔驰(ベンツ)などは美しすぎるほどの名人芸だ。谷歌(グーグル)もいいけど、最初聞いたときはヤフー(雅虎)の新しい訳語かと思った(谷の歌? ヤッホー!みたいな連想ですごめんなさい)。

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今回もまたアルジャジーラの一人勝ち、という印象。これまで視聴者が少なかった地域(日本や中国)で視聴者が急増したみたいだ。Al Jazeeraでの報道に言及する日本語や中国語のツイートもよく見かけた(ちなみに日本にいる皆さんはどうやってAl Jazeera をご覧になっているんでしょうか?ネットで?)。

Written by Flowllah

February 13, 2011 at 05:50

you are a sucker for

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普段の会話のなかで知らなかった英語表現に出くわすことがたまにある。そんな時はいつも小さな感動を覚えるし、交わした会話とともにその表現が深く心に残って、ずっと忘れられなくなることが多い(たぶん一生忘れない。相手にもよるけどw)。昨日もそんな感動体験を伴う表現にぶつかったのでメモ。

“I am a sucker for~” (私って、~に目がないのよねっ!)

実例: I am a sucker for painful stories!  (私、イタい話が大好きなの!)

私は罵り言葉としての sucker(ヌケ作)しか知らなかったので、昨日この表現が不意に出てきたときは会話を一瞬つまづかせてしまった。辞書ではエントリの最初のほうに出てくるので一般的な表現だと思われるが、私は昨日まで知りませんでしたよ…。でもこういうのが実は楽しい。外国語は奥が深い。

この類の話はネタが尽きないので、シリーズ化決定!

(いつか)続く!

Written by Flowllah

February 12, 2011 at 04:56