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「いだてん」と「ケトー」

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廃れゆく言葉は廃れるに任せるが良し(無理に保護する必要はない)というのが私の考え方なのだけれど。

先日うちの会社の同僚(日本人・2x歳・女性)と地方へ出張した際、「韋駄天」と大きく書かれた業務用トラックが道端に止まっていた(日本で廃棄された後、第二の人生をこの国で送る車両は多く、そこらじゅうに「松戸スイミングスクール」とか「浜松水産」「緑が丘保育園」とかの業務車が走っている)。

その「韋駄天」トラックはどうみても宅配のための車両だったけれど、トラックを見つけた同僚はすかさず「あっ!センパイ!日本のクルマですよっ!てんぷらやさんですねっ!」

天然であることはいい。美点になりうる。素晴らしい。大らかに育てられたんですね。

また別の日、今度は取引先の日本人たちとの会話で、文脈は忘れてしまったけれど「毛唐」という言葉が出てきた(なんの話をしてたんだ、俺たち?)。散会した後、その場にいた女性(2x歳)から「あの、ケトーって何ですか?」と聞かれた(もちろん「毛むくじゃらの異国人ということですよ」と答えておいた)。

「毛唐」という言葉が次の世代に引き継がれて行かない、ということは喜ぶべきことなのだ。私の父親は「よつ」とか「おきや」という言葉をよく使っていたが、私の世代にそういう言葉を日常的に使う人はまずいない。私は、それをよいことだと思う。

韋駄天という言葉だって、現代日本人の毎日の生活において仏教が持ちうる影響力を考えると、意外と短命かもしれない。そして私は、それは究極的にはきっとよいことなのだろうな、と思う。

—————

韋駄天(wikipedia より)

「ヒンドゥー教の神スカンダ(Skanda)が仏教に入って仏法の護法神となり … 塞建陀天として、また … 違駄天として記述がある。元来はSkandaを音写して塞建陀天または私建陀天と漢訳されたが、建駄天とも略記され …. 誤写によって建駄天が違駄天となり、さらには道教の韋将軍信仰と習合して韋駄天と称されるようになった。」

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Written by Flowllah

February 14, 2011 at 11:00

Posted in 言葉, 日本語環境

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