ふろウラ Flowllah

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いつもとは少し違う戦争の頃の話

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世界でも有数の経済成長率を誇るアフガニスタン(2012年は前年比 10% のGDP成長)の首都カブールはすごい勢いで車が増えている一方で、都市計画や道路整備が追いついておらず日中の渋滞は悩みのタネ。きょうもそんな渋滞に巻き込まれていたところ「昔おれが戦車を運転してた頃は」と、運転手がぼやき始めた。「行く手を遮る車両はすべて体当りして道端にどかしていた、わはは」などと物騒なことを言う。でも楽しそうだ。さぞ爽快だったことだろう。「え?戦車を運転してたの?いつ?どこで?」と聞くと「20年くらいまえ。北で」という返事。「たくさん殺したよ」。

まー、あれですよね。アフガニスタン人の同僚と話をしていて、戦争の頃の話になるのはよくあることだ。これまでもごく普通の日常会話のなかで「ソ連兵に父親と兄を殺されたあと、幼かった俺は母と姉に連れられて徒歩でパキスタンまで逃げた。パキスタンでいまの女房を見つけたんだよ!ガハハ!」とか「自宅を女の子のための学校にしていた。タリバンに見つかると殺されるから、教科書とかはぜんぶ庭に埋めたよ。私も長いヒゲを生やしてターバン巻いていた。そんな私の格好、想像できますか?」とか、「ある朝早く、とつぜん父親に「いまから空港へいく。すぐ支度しなさい」といわれて、とりあえずリュックサックに入るだけ詰め込んで、飛行機に乗ったらそれっきり25年間の海外生活だぜ」とか、そういう話になったことはあったけど、「たくさん殺したよ」というセリフは初めて聞いたのでちょっと驚いた。(自分が知っている)誰かが殺されたという話にくらべて、(自分が知らない)誰かを殺した、という話はしづらいだろうから、後者の視点からの話を聞く機会が少ないのは自然なことだ。ただ「殺した側と殺された側が、そうとは知らずひょっとすると机をならべて仕事をしているかも知れない」と考えると、自国民同士が殺しあう凄惨な内戦の総括をしないまま、なし崩し的にこれまでやってきたこの国の危うさを感じずにはいられない。この国の内戦の指導者たちを「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁く日がいつかくるのだろうか。

あんまり来なさそうだよねえ。

Written by Flowllah

July 27, 2013 at 05:47

ラマダン3日目。あちらの地方は白夜です。

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きょうはラマダン 3 日目。私が最初にラマダンを経験したのは太陽暦の10月頃だったが、近年のラマダンは太陽暦の(北半球の)真夏にぶち当たっている。これはイスラム暦が太陽暦より短いので、ふたつの暦が毎年10日づつずれるからだ(イスラム暦が前にずれる)。

さて、北半球の夏は緯度が高くなればなるほど日が長くなる。スウェーデンなど北極に近い地域は真夜中になっても日が沈まない「白夜」の季節だ。その一方、ラマダンの断食は日出から日没までとなっている。そこで「日が沈まない地域に暮らすムスリムは 24 時間ずっと食事もできず水も飲めないまま、程なくしてみんな死んじゃうのではないか?」という疑問が生じる。北欧諸国にはイスラム圏からの移民が多いので、これは切実な問題であるはずだ。

ということで調べてみました。結論からいうと、そういう地域では地元のイスラム協会みたいな団体が「日は沈まないけど、断食は何時まででよい」という通達を出しているとのこと。そりゃそうだ。じゃないとみんな死んじゃうもんね。ちなみに東京とほぼ同じ緯度にあるカブールでは、今年の断食は朝 3 時半から夜の 7 時過ぎまでだそうで、これも相当つらいはず。まだ 3 日目だからみんな穏やかだけど、ラマダンも中盤にさしかかる頃から、日中とても眠そうにしてたり、やたらピリピリしている人が激増するので要注意。事故も増える。

会社の勤務時間もラマダン時短となって、仕事がぜんぜん進まなくなるのだけれど、これはもう仕方がない。普段は騒々しいカブールの街も、ラマダンが始まってからは昼間はとても静かだ。その分、飲食ができる夜はとても賑やか。毎年恒例のラマダン特需。地元のテレビも特番とか人気ドラマの一挙放映をするらしいので、日本の年末みたいなノリなのだろう。いまこのブログを書いている今も、近所のモスクで行われている説教が拡声器を通じて盛大に聞こえてくる。一晩じゅう続きそうな勢いだ。こういうお祭り騒ぎ的な楽しい側面がないと、断食なんてとてもじゃないが続かないのだろう。

ムスリムの皆さん、がんばってください。

Written by Flowllah

July 11, 2013 at 17:26

10 – 4

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きょう米国人の同僚からのメールに 「10-4 !」とだけ書いてあって、何のことだか分からなかったから調べてみると「了解です」という意味らしいことが判明した。米国で使われている俗語だというから「了解っス!」くらいの雰囲気なのかも知れない。「テン・フォー」と読むとのこと。初めてお目にかかりました。

俗語とか、一部のグループだけで使われている言葉は、その言語を外国語として使用している者にはとても難しい。その言葉を使うことができる状況(いつ、どのように、誰に対して使うか)を把握していないまま覚えたての言葉を使うと、場合によってはとんでもなく失礼なことになってしまうからだ。逆に、これ以上はないというくらいドンピシャな使い方をすると「おお!」と感心されたりする場合もあるのだけれど、リスクを考えると「その言葉の使い方に自信がないときは、使わないほうが無難」という判断に至る。流行語とか俗語を使って感心されるより、折り目正しく誰にでも分かりやすい言葉遣いを続けたほうが「減点のリスクが少ない」のだ。

でも俗語を使って「感心される」というのは、つまり、その言葉を母語として使用している人たちから「あいつは外国人だ」と(無意識的にでも)思われているということでもある。大学の頃、同級生にオーストリア(オーストラリアではありません)からの留学生がいて、その時点で日本滞在が三年程度だった割には日本生まれの日本人と同じくらいに流暢な日本語を使う人だったんだけど、彼はまわりの日本人から「日本語がお上手ですね」と言われるたびに腹を立てていた。「上手だって言われるってことは、つまり、自分はまだ外国人扱いされているってことでしょ?」というのが彼が怒っている理由だったんだけど、そこがニューヨークならいざ知らず、どれだけ日本語が達者でも東京にいる金髪碧眼のオーストリア人が日本人と間違われるようになるまでは、少なくともあと20年は必要なんじゃなかろうか。

これは日本語と英語の大きな違いを示唆していると思う。日本で使われている日本語はそのほとんどが日本人が母語として使っている日本語なので、こなれた日本語が当たり前のように流通している。その結果、少しでもヘタな日本語を使うとすぐに「この人は外国人」と思われてしまい、それからはずっと「外国人」として扱われてしまう(日本人でも敬語の使い方がちょっとアレだとか、そういう問題はありますが)。一方で、英語では様々な習熟度が混在しながら意思疎通が行われるので、相手の英語の習熟度に対する期待値がそれほど高くない。というか「ヘタな英語がデフォルト」とか「英語を母語とする人は一人もいないけど職場の言語は英語」という職場もかなりの数で存在していて、そしてその数は増えている。これは今後の世界における英語の流通をさらに加速させ、英語の地位を一層押し上げるだろう。多くの日本の職場では外国人も上手な日本語を喋ることが言外に期待されているので、日本語がヘタな人にとって大きな障壁となっている。こうして、これからも日本は日本人ばかりの日本になってしまうのだ。

日本語がいささか怪しくてもきちんと仕事ができる人ならどんどん職員として採用する、そんな会社や役所が増えれば市中に流通する日本語のレベルも下がるので、海外から日本に来る人も仕事が見つけやすくなるだろう。楽天のように会社での使用言語を(ヘタな)英語にするというのも一案だが、会社での使用言語を「ヘタな日本語にする」という選択肢も十分ありうる。そしてそれは「開かれたニッポン」への一つの方策だと思う。

Written by Flowllah

July 10, 2013 at 17:18

ラマダン前夜

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翌日からラマダンが始まる緊張感(?)も手伝ったのか、昨夜はいつになく同居人が食卓に集まって話に花が咲いた。いくつか面白いことを聞いたので、ここにメモしておく。

1. シーアとは「間違った道を選んだ者」、スンニは「正統」を意味する

同僚のレバノン人がそう教えてくれて「へー!勉強になるなぁ!」と思ったけれど、いま調べてみたら大多数のサイトが「シーアは Shi’a-Ali(アリ派)が語源」と説明していた。おい。でも「間違った道を選んだ者」という説明のほうが面白い。ちなみに彼によるとスンニは Orthodox(正統)という意味らしい。眉唾だけど。シーア派の習俗はスンニ派にくらべてずっと開放的だそうで、これは私がアフガニスタンのシーア地域を訪れた時の実感と一致する。革命前のイランもそうですよね。現在のイランも保守的なのは一部の聖職者と政治家と西側の報道の中だけなのかもしれない。

2. アラブ人=ムスリムではありません

ちょっと考えてみればその通りなんだけど、私のなかでもアラブ=イスラム教という先入観が強いのでこの点は注意したいなーと思った。そのレバノン人が「おれはアラブ人のキリスト教徒だ。親父はマロン派の聖職者でレバノンに学校を11校も建てたんだ。おふくろはギリシア正教。おれはプロテスタントで WAP (white Arab protestant)」と言っていた。なんか複雑。

3. キリストは旧約聖書のシャリアから人々を解放しようとした

ここで「シャリア」という言葉が出てきたので驚いたのだが、シャリアとは「本」を意味する古代ヘブライ語だそうで(ほんとかよ)、キリストは旧約聖書の教条主義から人々を解放しようとして当時の支配者層の反感を買い、しまいにはローマ人総督によって磔にされた、という説明(ほんとかよ)。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」という有名な教えも「目には目を、歯には歯を」という旧約聖書の教えに対するアンチテーゼだった(ほんとかよ)。

4. カトリック教会だって原理主義

数年前にブラジルで9歳の女の子がレイプされて妊娠した。9歳での出産は母子ともに非常に危険なため医師が中絶手術を行ったところ、ブラジルのカトリック教会がその医師と女の子の母親を破門にした、という話。「レイプは重罪だ。しかし中絶はそれを凌ぐ重罪だ」というのがカトリック教会の見解だったそうで、当時弊社のブラジル支社に勤務していて事の次第をよく知っている同僚(イタリア人・カトリック)は「そんな馬鹿なことがあるか?レイプした奴らを放っておいて、母子の命を見殺しにするような奴らは地獄へ落ちろ」と叫んでいた(ごもっとも)。レイプした男性は無罪放免になる一方、被害を受けた女性が石打ちの刑(つまり死刑)になってしまうサウジアラビアとかイランを彷彿とさせる。

「あしたからラマダンが始まるねぇ」という会話から上記のような話に発展したわけだが、宗教が日常生活にほぼ何の意味も持たない普通の日本人にはとても興味深い話だった。

Written by Flowllah

July 9, 2013 at 08:03

Posted in 日常の雑感

「侍」

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「侍」遠藤周作 (新潮社, 1980)

こんどの休暇でインドのゴアへ行こうと思っていて(雨季だけど)、その準備のためにイエズス会について調べている過程でこの本の存在を知った。発表当時は話題作だったらしく、野間文芸賞も受賞しているらしい。真面目な小説を書くときの遠藤周作らしさが遺憾なく発揮されている、史実を丁寧に取材した上で書かれた重厚かつ救いのない話。結論から言うと、これは傑作。遠藤周作の小説のなかでもとりわけお薦め。

様々な問題提起が幾重にも織り込まれているので、この小説をどう読むかは人によって大きく違ってくるのだろう。私はヨーロッパと日本の本質的な違い、および「日本人とはなにか」を問うている部分にこの小説の魅力があると思う。それが顕著に現れるのが、マドリッドでの司教会議での応酬だ。長くなるがヴァレンテ神父の言葉を引用すると:

「日本人は決して一人では生きていません (…) ここに一人の日本人がいます。私たちは彼を改宗させようとします。しかし「彼」という一人の人間は日本にはいなかったのです。その背後には村があります。家があります。いや、それだけではない。さらに彼の死んだ父母や祖先がいます。その村、家、父母、祖先はまるで生きた生命のように彼と強く結びついているのです。だから彼とは一人の人間ではありません。村や家や父母や祖先のすべてを背負った総体なのです。元に戻ったとは(注:棄教したこと)、彼がその強く結びついた世界に戻ったことです

日本人は本質的に、人間を超えた絶対的なもの、自然を超えた存在、我々が超自然と呼んでいるものに対する感覚がないからです。この世のはかなさを彼らに教えることは容易かった。もともと彼らにはその感覚があったからです。だが、恐ろしいことに日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っているのです。その能力があまりに深いゆえに彼らはそこに留まることのほうを楽しみ、その感情から多くの詩を作っております。だが日本人はそこから決して飛躍しようとはしない。飛躍してさらに絶対的なものを求めようとも思わない。彼らは人間と神とを区分けする明確な境界が嫌いなのです。彼らにとって、もし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかはなれるようなものです。例えば彼らの仏とは人間が迷いを捨てた時になれる存在です。我々にとって人間とはまったく別のあの自然さえも、人間を包み込む全体なのです。私たちは彼らのそのような感覚を治すことに失敗したのです」

「個人というものが日本には存在しなかった」というのは、夏目漱石や金子光晴、阿部謹也の著作によく出てくる問題意識なのだけれども、遠藤周作も同じような問題意識を持っていたことをこの小説を読んで初めて知った。ただし阿部謹也によれば、ヨーロッパにおける「個人」の出現はラテラノ公会議(1215年)以降ということなので、キリスト教の普及に「個人」の存在が不可欠だったということにはならない。実際、当時の長崎におけるキリスト教の浸透を考えると、豊臣秀吉と徳川家康による伴天連追放および迫害がなければ日本にもキリスト教が相当程度普及していたかもしれないのだ(ところで、なぜイスラム教が日本に入って来なかったのか不思議。イスラム教はフィリピンまで来ており、マニラやルソンから琉球・薩摩までは海流に乗ってすぐの距離だったというのに)。

ちょっと脱線したので話をもとに戻すと、「日本には「個人」が存在しない」という問題意識は、欧州経験を持つ昔の日本の知識人が必ず感じたものなのかもしれない。では現在の日本ではどうなのかというと、夏目漱石がロンドンに、遠藤周作がパリに留学していた頃に比べれば、現在の日本人はしがらみから自由に発言したり行動できるようになっているのだろう。万事につけ適当な私は「別に「個人」が存在していなくても(楽しく暮らせるなら)いいじゃん」とも思う。

Written by Flowllah

July 8, 2013 at 19:09

台湾の女子学生制服マップ

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絶対永久保存という厳命でしたので、従わないわけにはいきません。

金門・馬祖にも女子高があった、ということに不意打ちを食らったような衝撃を感じる。冷静に考えてみれば高校くらいあって当然なんだけれど、金門島や馬祖島でもごく普通の暮らしが営まれているということを想像したことがなかったのだ。これはますます、金門・馬祖に行ってみる必要がありそうだ!この女子学生たちをもってすれば、福建省沿岸部に対する和平演変も容易だろうと想像する。

名門「北一女中」つまり台北市立第一女子中学校、かつての臺北高女、の制服が緑色だったというのも知らなかった。勉強不足だ。もっと学習して正しい思想を身につけねばなるまい。そういう思想学習なら寝る時間を惜しんででも頑張ります。

臺北高女は台湾が日本の植民地となってからわずか9年後の1904年の創立。当初から女学校だった。当時の総督は児玉源太郎だったが、軍人としての職務(日露戦争)に忙しかった彼は総督としての実務をほとんど後藤新平にまかせていたので、臺北高女も後藤新平のプロジェクトだったのかも知れない。臺北帝大の開学が1928年だったことを考えると、その先進性が窺い知れる。

それにしても卒業生の錚々たる顔ぶれ。「橄榄树」の三毛もこの学校の出身だったのか。龍應台もこの学校だと思っていたけど、調べてみたら彼女は台南女中でした…。

また台湾へ行きたくなってきた。いますぐ行きたい。

Written by Flowllah

June 6, 2013 at 13:57

「Zero Dark Thirty」

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「Zero Dark Thirty」Kathryn Bigelow 監督(米国, 2012年, 157分)

今年の春先あたりに日本でも話題になっていた映画を見た。見終わった感想は「重い」。そう感じる理由はいくつかある。まず、ビン・ラディンの暗殺から二年しか経過しておらず、フィクションとして見るにはあまりにも出来事の記憶が生々しいこと。冒頭に「これはたくさんの関係者への取材を元にしたフィクションです」という断り書きが入るのだけれど、フィクションとノンフィクションの境目が分からない作りなので、フィクションとして割り切って鑑賞することが難しいのだ。

作戦が成功してビン・ラディンの追跡を担当していたCIA職員がアフガニスタンを去るところで映画は終わるのだが、これは終わりではなく、なにか得体の知れない深くて暗い次の物語の始まりに過ぎない、という印象を観ている者に与える作りになっている(ような気がする)のも、この映画を重たく感じる理由だ。

さらにアフガニスタンやパキスタン勤務を経験した者にとっては、作中に出てくる風景や風俗、または実際に起こった事件(たとえば2005年のイスラマバード・マリオットホテルの爆破)の記憶が鮮烈に蘇ってくるため、なおさらフィクションとして見られない重たさがあると思う。

ところで、ある出来事の記憶が風化する前に、その出来事に限りなく近いフィクションに仕立てて映画にしちゃう、というのが最近の流行りなのだろうか。サッチャー元首相を題材にした「the Iron Lady」(2011年)も認知症になった「鉄の女」の日常を「フィクション」として映画にしていたが、公開当時は本人がまだ存命中だっただけに、その手法に私は違和感というか抵抗を感じたけれど、今回の映画にも同様の抵抗を感じた。一方で、イラクで捕虜になった米兵が解放されて英雄として母国に帰還したところから始まる Home Land というアメリカの連続ドラマは、物語の背景は現実だけれど登場人物が実在しないので、テーマは同様に重いのだけれど、それなりに「作り話」として楽しめるようになっている。

と言いつつも、実際の出来事から二年しか経過していない時点でこのような映画を作ってしまうアメリカの映画業界の懐の深さというか、鬼気迫るほどの凄みを感じるのも事実。日本の映画業界が福島の原発事故を題材とした映画をいまの時点で作れるか、というと、できっこないのである。この映画はとても抑制のきいた作りになっていて、ビン・ラディン殺害直後にアメリカの主要な新聞・雑誌に見られたような安易なヒロイズム、単純な勧善懲悪的愛国心を煽っていないところに、懐の深さを感じるのだ。

おすすめできる映画だけれど、見る人によってはしばらく呆然としてしまうような、強烈な作品。

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(UBL 殺害直後の北京の街角にて)

Written by Flowllah

June 5, 2013 at 15:30